《欧亚美术》  犍陀罗艺术 

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COLUMN 18


コレクター(1)
 


 お客さんの中には個性的な人が多く、書き残しておきたい話が、あるいは人物があるのだが、しかられそうでなかなか筆が進まない。そのなかの一人、この人ならだいじょうぶだろうと思われる人がいる。松岡清次郎氏である。
 

 30年ほど前に95才で亡くなっている。松岡美術館(東京都港区白金台5-12-6)を創設した実業家である。「西武の堤(康次郎)にオレは金を貸してやった」とおっしゃるのを何回か聞いたことがある。昭和の大富豪の一人であった。一時は日本有数の資産家とも言われた。

 豪快な人であった。誰かノンフィクション作家が氏のことを書いてくれればおもしろいのにと考えていた。そしたら、氏の死後本が出た。書店にとんで行って買って読んだ。ところが、氏の近くで働いた人だったために遠慮して、して。正直ものたりなかった。

 遠慮することないのに、と思った。例えば、私が「社長いいものが入りました。」と電話したら、「ああそうか。車で迎えに来るなら見に行ってやるよ。」さっそく車で新橋の事務所にお迎えに行った。車が動き出してすぐ「おい、ちょっと止まれ、小便したい。」「だけど社長ここでは…。」「いいから早く止まれ。」そして新橋のビル街のど真ん中でビルに向かって「シャー」私が遠慮することはないという所以である。
 

 そして当時の私の事務所のあった新宿に差しかかったとき、「わしのビルがこの辺にあるんだがどれかな?わかんねえや。」ビルをたくさんお持ちで不動産業が主であったようだ。

 生粋の江戸っ子だったようである。下町生まれと聞く。氏のべらんめえ調が氏に迫力を加えた。「あの野郎、松岡は死ぬのを忘れてやがるって言いやがるんだ。」氏が90才ぐらいの時だっただろうか。最後までタフでお元気だった。
 

 子どもの頃はあまり裕福ではなかったようで、小学生ぐらいのときに、大八車を引いたとも聞く。そのお金で母親と、うな丼を一杯注文して、二人でわけて食べたとか。以来うなぎが大好物と。(つづく)

 


写真1 舎衛城の大神変 h.133cm

私が一番最初に氏に買ってもらった作品

松岡美術館蔵
 
 

 

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