《欧亚美术》  犍陀罗艺术 

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COLUMN 13

 

樺皮経典
 

 近年樺皮に墨書された経典が多数出土し、経典学者を興奮させている。だいたい6~7世紀から8~9世紀にかけてのものである。ガンダーラ彫刻からすれば最後期に属する。従ってガンダーラの中心部からは出ず、たいがいアフガニスタンもしくはスワートの北のチトラル地方からの出土例が多い。図1がその断片である。

 

図1

 

 法隆寺に樺皮(貝葉かも)に書かれた経典があり弘法大師が中国から持ち帰ったものではないかとされ、9世紀ごろのものとされている。たしか国宝に指定されている。しかしどうも9世紀と古くはなく、もう少し後世のものであろうと考えられている。

 20年ほど前からマーケットに出はじめた。ノルウェーの古文書のコレクター、スコイエンがずい分と集めて、今はスコイエン・コレクションとして本(6巻本?)にもなり有名になっている。その最初の巻が出たとき、出版記念会を東京のノルウェー大使館で行った。ノルウェーでは誰も見向きもしてくれないだろう。日本でなら話題になるだろうと考えたのだろう。私も呼ばれて出席した。そのとき、大使館の人が私に近づいて来て、小声で「これいくらぐらいするもの?」と聞いてきたのが忘れられない。私は答えなかったが。

 また100年ほど前には、スタイン他が中央アジアから古い経典を持ち帰り、仏教界では大変なさわぎになったことがある。今の経典の発掘はそのときの発掘さわぎの再来だと言われている。仏教国日本のコレクターにはあまり興味を示されずに、ほとんどが海外に行ってしまうのがなんとも残念だ。

 

 樺皮というのは、文字どおり白樺の幹の皮をはいで作ったもので、よく見るといい所を細く切った樺皮をていねいにはり合わせて二重にして作っているようだ。通常20×10cmぐらいだが大きいもの50×12cmくらいのもある。樺皮に似た当時の経典に、ばいたらよう(貝多良葉)に書かれたものもある。棕櫚の葉のようなものを紙状にして使う。ただ北方のガンダーラ地方ではほとんどが樺皮で、貝多良葉に書かれたものは見かけない。南方では多く貝多良葉が使われた。

 この樺皮経典について書いている正にそのときに、柳田國男の「雪国の春」を古本で買って来て読んでいたら、「樺皮の由来」という項目があり読んでみた。「カバカハ」と言い、土地の人(八戸以北にだけありそこの人々)はその正確な意味を知らない。柳田の推測では「カバカハは白樺の樹皮を利用した一種の紙である。寒い山國において発明されたパピロスであった。紙の手に入らぬ時代、尚是非とも後に伝へねばならぬものは之を樹皮に描いておいたのである。」と。あるいは「南無阿弥陀佛」の軸にされたりもしたようである。

幕末あたりまで、東北地方ではこんな使い方がされていたという。(つづく)

 

 

 

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